蒸発したブラックホール その16 伝説の最強のタッグマッチ (2)

アラン・シャペル フランス ミオネー


 リヨン中央駅から車で40分くらいの郊外の小さなミオネー村にある、私にとって、かつては世界最高峰のレストランフランセーズでした。絶頂期の80年代には年に数回出かけては、最低2日間は滞在して3〜4食の料理を堪能するほどの大好きなレストランでした。宿泊できるオーベルジュになっていましたが、部屋の内装は、ごくごく普通で、近所のジョルジュ・ブランやル・ピラミッドなどの豪華さとは比べ物になりませんでしたが、サロンで食べる朝食から夕食までの料理は頂点を極めていました。
 彼は、ル・ピラミッドのフェルナン・ポアンのもとで修行してから、この地でレストランをオープンしました。ここで供される彼の料理は“ロニオンのポアレ”や“シャンピニオンカプチーノ仕立”や“鳩のパイ包み”など20年以上経った、現在でも未だにこれらの素材で、彼の料理をを越える皿には出会ってないほど珠玉の素晴らしい料理の数々でした。
 長身の優しい人柄とは裏腹に、大胆でありながら緻密で徹底的に計算されつくした究極の素晴らしい料理は天才アラン・シャペルのなせる技以外のなにものでもありませんでした。またマダム・シャペルのホスピタリティ溢れる家庭的な、もてなしも素晴らしいものでした。
 天才シャペルを支えるメンバーが凄く、今をときめくアラン・デュカスやフィリップ・ジュス、渋谷佳紀、上柿元勝、西原金蔵など、秀才努力型のそうそうたる面々でした。この調理場から生み出される料理の凄さといったらフランス料理の想像を遥かに超えたヌーベルキュイジーヌでした。しかし天才肌の彼の料理は、ジョエル・ロビュションのように料理全てがハズレがなく80点主義で作られているのとは違い、極論すれば100点か0点かと言える、少ないですが中には、とんでもない“どハズレ”の料理もありました。その中でも筆頭は“牡蠣のティエド海草添え”で、ピンボケで中途半端な味付けで旨みに乏しく酷いものもありました。食事の後に挨拶に出てきたシャペル本人に「不味い〜!」と伝えると、彼はムッとして天才バカボンのパパのように「これで良いのだ〜!」と反論したことも今となっては懐かしく思い出されます。この料理、本人はよほど気に入ってるらしく、神戸アランシャペルで時々開催されいたアラン・シャペル・フェアの際にも出していました。
 その後彼は1990年にフランス国外にいるときに突然心筋梗塞で倒れ、帰らぬ人となってしまいました。フランス料理界にとって本当に惜しい人材を亡くしたと思います。その後現在は一番弟子のフィリップ・ジュスがレストラン・アラン・シャペルの厨房を守っていますが、彼はやりは秀才努力家タイプなので、シャペルのルセット料理は実に素晴らしいですが、オリジナリティに富んだ、かつてのアランシャペルの店の料理では無くなっています。
 ユトリロも描いた店の白壁の手前の路地を入り丘を上がったところに小さな教会と墓地があり、いま彼は静かにここで眠っています。
 大阪のラ・ベカスのシェフの渋谷さんも料理人最高の師と仰ぐ彼の料理が私は今でも無性に食べたくなります。