美食のベクトル その1 日常食とハレの料理

暫く休んでましたが新しいシリーズです。

 作り手も、食べても味の好みは千差万別の世の中、この難しい作り手と食べ手のベクトルが合うことこそ、外食最高の喜びだと私は考えます。
 ヨーロッパでもミシュランの星付きレストランを、正しく星のごとく食べ歩きましたが、本当にこのベクトルが合致した店は数えるほどしかありませんでしたし、日本でもアジアでもやはり、このベクトルが合う店はほんの僅かです。このシリーズでは、「美食のベクトル」と題し数回に分けてそのことについて語りたいと思います。

 最初は「日常食とハレの料理」です。

 多くの人にとってフランス料理や高級中華料理はハレの料理だと考えて食事をしているものと思います。たまに行くから普段とは違う食材やサービスを堪能したいと考えるのは当然ですし、ごく自然の成り行きだと言えます。しかし、私にとっては、フランス料理と中華料理は、ハレの料理もたまにはありますが、基本は日常食と考えて食事をしています。そうなると毎日食べたくなる料理を念頭に店やメニューを考えますので、ジビエやトリュフのような食材よりも、普段から身近にある食材を使いながら、極限までその素材の持ち味を引き出し、調理した料理に主眼を置いて選択することを第1に考えて店選びをします。当然味付けも濃厚なものでは無く、優しい味わいが基本になります。しかも、身近な素材を洗練させることは実に難しいことだと考えます。ジビエであれば素材が良く、適度にフザンタージュしてあれば、ポアレにしてサルミソースでも合わせて適度な塩加減でトリュフでも散らして調理すれば、実力のある料理人の手に掛かれば、必然的に美味しい料理になると思いますし、ジビエでは毎日食べるには重すぎると思います。でも例えば豚肉のような身近な素材を徹底的に洗練された料理に仕上げようと思えば、ジビエとは比べものにならないほど料理センスや技術が必要になると考えます。

 30数年前からヨーロッパではフランスやイタリアを中心に食べ歩きをしていますが、私も最初はジビエやトリュフやフォアグラなどの高級食材の美味しさに目を奪われていましたし、豪華絢爛な料理に惹かれていた時期もありました。そんな中、ヴィバロアのペローの下で修行して、セーヌ左岸に小さな店を出したばかりの、ベルナール・パコーのアンブロアジーに行った時に食べた料理に大きな衝撃を受けました。当時ミシュランの星1は、付いていましたが、内装も地味で20人も入れば一杯になってしまう小さな店でしたし、料理もビストロでしか扱わないような、エイや牛テールなどの、ごく普通の素材が中心のメニュー構成で冬に訪れてもジビエは無いか、あっても、ほんの僅かしかメニューに載っていない店だったのですが、その極々普通の素材が信じられないほど劇的に洗練されて調理され、一口食べた瞬間に目から鱗が音を立てて落ちていくほど衝撃的な料理でした。エイとシューのビネグレットソースやクードブッフは見た目にはビストロ料理のような地味で飾り気のない皿でしたが、その味は信じられないような洗練度と素材の持ち味を100%引き出した味わいに心底パコーの天才的な料理センスに陶酔させられました。それ以来、パリにいるときは、本当に足繁く通いました。しかし、そんな天才料理人を世間が放っておくわけが無く、ゴーミヨーやミシュランが高得点を与え始めて、その後、ヴォージュ広場の今の場所に移ってからは、その時の輝きは、ほとんど消え失せたしまいました。しかし、私にとって、それ以降、フランス料理対する考え方が180度変わりました。フランスにも香港福臨門のような店があることも初めて知りましたし、長く探し求めていたベクトルが完璧に合った店が見つかった瞬間でした。

 だから今でもフランス料理や中華料理に普段求めるものは、高級食材ではなく、毎日食べたくなる食材の料理なのです。香港福臨門の家郷菜やラ・ベカスの魚料理、ビストロハムサの肉料理は、この毎日食べたくなる料理だと断言できます。

 私の日記を見ている人には、毎週、毎週ハムサの渡邊シェフの作る豚肩ロースのコンフィばかり食べているように見えると思いますが、彼は私の目の前に十数年ぶりに現れた、正に和製ベルナール・パコーなのです。一旦今月いっぱいで食べ納めですが、近い将来、オーナーシェフとして自分の作りたい料理を思い切り、気兼ねなく作れる店を始めると考えると、たまらなく楽しみになりますし、自分との「美食のベクトル」の合った店の誕生を首を長くして待ちたいと思います。